じゃっくんろーる!

ゆるく生きてます

ハダリー胸デカすぎ。「屍者の帝国」観てきました。ノイタミナ感溢れる作品。

今日はSF小説について書いていくよ!

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ノイタミナ

皆さんは「ノイタミナ」をご存知ですか?
アニメを観る人ならご存知だとは思いますが、こちらは「アニメの常識を覆したい」「すべての人にアニメを見てもらいたい」 という想いから企画を行っているフジテレビの新進気鋭の枠です。
ノイタミナ枠で有名なのは「もやしもん」や「のだめカンタービレ」や、最近だと「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」などもあげられますね。

今回このノイタミナの企画で、「Project Itoh」というものが進められております。
このプロジェクトはその名が表すとおり、SF作家の伊藤計劃(けいかく)氏に焦点を当てたプロジェクトとなっており、伊藤計劃氏の執筆した2作と遺作となった1作を全3編として映画化するというものです。

伊藤計劃氏とは

伊藤 計劃(いとう けいかく、本名伊藤 聡、1974年10月14日 - 2009年3月20日)は、日本のSF作家。武蔵野美術大学美術学部映像科卒。
2007年に、『虐殺器官』で作家デビューしてからわずか2年ほどで早逝したが、その処女作はゼロ年代日本SFのベストに挙げられている。

Webディレクターの傍ら執筆した『虐殺器官』が、2006年第7回小松左京賞最終候補となり、ハヤカワSFシリーズ Jコレクションより刊行され、作家デビュー。同作は『SFが読みたい! 2008年版』1位、月刊プレイボーイミステリー大賞1位、日本SF作家クラブ主催の第28回日本SF大賞候補となる。

2009年12月6日、遺作となった『ハーモニー』で第30回日本SF大賞を受賞した。「特別賞」枠を除き、故人が同賞を受賞するのは初めてである。2010年に同作の英訳版が出版され、アメリカでペーパーバック発刊されたSF小説を対象とした賞であるフィリップ・K・ディック記念賞の特別賞を受賞した。
第40回星雲賞日本長編部門
第30回日本SF大賞日本SF作家クラブ主催)
フィリップ・K・ディック記念賞特別賞

未完の原稿が約30枚ある(この部分は絶筆として河出文庫大森望責任編集『NOVA1』に収録されている)。遺族から承諾を得て円城塔がこの原稿を引き継ぎ、2012年8月に『屍者の帝国』として刊行した。
第31回日本SF大賞
第31回日本SF特別賞
第44回星雲賞日本長編部門

伊藤計劃 - Wikipedia


SF界では大変有名な方で、若くして亡くなられてしまったことが大変悔やまれます。

上記の3作「屍者の帝国」「ハーモニー」「虐殺器官」を映画化したのが今回の企画です。
この伊藤計劃氏の作品を映像化しようと動き始めたのが、ノイタミナプロデューサーの山本幸治氏。

Qオリジナル企画がなぜ伊藤計劃だったのですか。
高橋氏「イタミナには、これまでのアニメとは別の意義を探す旅がありました。そこはノイタミナの足かせでもあるのですが、その発想はずっとありました。伊藤計劃の持つポジションが、これと一致したことが理由かもしれません。」

『屍者の帝国』からスタート 山本幸治チーフプロデユーサーが「Project Itoh」のプロジェクトを語る | アニメ!アニメ!

山本氏はフジテレビ内でもかなり革新派の方で、アニメーションの可能性を大きく切り開いてくださった方です。
今は独立されて、ノイタミナには社外から関わっている形となっています。

さて、今回はこちらのプロジェクトの第1作目「屍者の帝国」を観てきたので書いていきたいと思います。

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改変部分

まず本作劇場版は、原作からの改変部分が多々ございます。
あれだけの長編作品を二時間という短時間にまとめるのですから、これは仕方のないことですね。

原作比較はこちらの方のエントリーがまとまっているのでご確認ください。docseri.hatenablog.jp

改変は多々ありましたが、屍者の帝国のテーマは原作も劇場版も一貫して「魂のありかたとは」というところにあると思うので、その点に関して劇場版は一応は描いてくれていたのでオッケーでした。
ただ、菌株の設定の説明がなかったりと説明不足感は否めず、初見の方は結構戸惑っている印象を閉幕後のざわつきで感じました。
あと、「なんでワトソンはヴィクターの手記を自分に入れたの?」とかとか。

大筋のとらえ

他作品でも書かれているのですが、伊藤氏の魂の捉え方は、魂があるから思考があり、思考があるから言葉がある。思考は言葉に先行する。なので、言葉があるなら思考はあるし、思考があるから魂もあるよね。といった感じです。
原作ではワトソンがフライデーに文字を記録しまくらせていた結果としてワトソンの中で文字(ワード)の情報が形を持ち、言葉となり、そして思考が、魂が生まれました。
劇場版ではワトソンは冒頭からそのことを意識的にフライデーにやらせていましたね。うろ覚えですが、「すべてを記録しろ。これが君の魂になることを願う」的なことを言っていましたし。

ヴィクターの手記は「情報の連なりを言葉としてまとめる機能」とかなのかなと妄想してみたり。
そうすると、劇場版でフライデーが生前の宣言通りに「魂を感じたら〜」の行為を実行したのにも一つ説明がつくのかなと思います。
ワトソンがフライデーに「生前の君はさ、こんなことを言っていたんだよ」的な流れで話したのを全部手記にとっていて、といった感じですね。
なので、あの時のフライデーは生前の魂がもどってきたのではなく、ヴィクターの手記を受けて自分が屍者化したのちに集めた情報が言葉として意識として魂を形作った結果なのかなと考えてみたり。

ちなみにフライデーとワトソンの関係がすごくツボで、原作の最後の部分が凄く好きです。

ほんの三年に満たない旅に過ぎなかったが、かけがえのない、得がたい日々をあなたと過ごした。その旅が僕をこうして形作った。あなたの物語をつなぐ手伝いを上手くできたか甚だ心許ないが、収支はまだ先のこととしてもらえればありがたい。
せめてただほんの一言を、あなたに聞いてもらいたい。
「ありがとう」
もしこの言葉が届くのならば、時間は動き始めるだろう。
叶うのならば、この言葉が物質化して、あなたの残した物語に新たな生命をもたらしますよう。
ありがとう。
今、わたしは目を開く。万物の渦巻くロンドンの雑踏へと、足を踏み出す。」

ここを読んだら、「ああ、フライデーは円城氏で、ワトソンは伊藤氏なんだな」と感じてしまいますよね。
ワトソンの冒険がフライデーの魂の元になっていて、そこからフライデーの言葉が実態を忘れたワトソンの魂を繋ぎとめようとする。そういった意思が生まれている。
伊藤氏の残した原稿を円城氏の言葉がつなぎとめて新しい命を吹き込んだ。
素晴らしいです。

ただ、劇場版だとちょっと違うんですけどね。
それでも、最後のフライデーの魂はワトソンとの冒険が元になっているものだと思うので、ラストのフライデーの独白も原作と同じ意味合いになるのだと思います。

うーん。

設定とか

一言大声で叫びたい。「背景美術が信じられないほど素晴らしくて、もう始終興奮しっぱなし!!!」
特に光の描き方が絶妙で、太陽、星、あと日本の色彩も変えているところが大変ニクい演出でした。
あまり言葉を挟まずに音楽で見せる演出もいいですねえ。

キャラクターについては、redjuiceさんの絵の雰囲気はありますが、やはり結構デフォルメしているのでやや残念。
あと、「ハダリー胸デカすぎぃ!!!!!」何が入ってんだ!!燃料か!!??機械人形だから燃料でも入ってんのか!!?露出は排熱のためか!?
というか機械人形にあそこまで精緻な思考が生まれるのであれば、思考のパターンを解析する技術と屍者化の技術組み合わせて延命もしくは半不死化の施術とか可能なんじゃ……
元ネタは機械人形かもしれないけど、原作では一応そういう描写なく人間ってことにしていたのだから、そこは世界観的にはそのままにして降りて欲しかったなと思います。

バーナビーはなんだかんだで頭が回るキャラクターな印象なので、もう少し原作のセリフを入れておいてほしかったなと思いました。

ファッションでいうと、英国組が普通のネクタイではなくアスコットタイをつけていたのがお洒落で嬉しかったです。
あの「ふわっ」とした感じのネクタイです。

あとはやっぱり菌株の設定を以下略。
それと、終盤の演出が魔法すぎてちょっと引きました。

そのくらいですかね!

諸々キャラクターが削られたり性格がちょっと違っていたりなどありましたけど、まあ、流れとしては良かったのではないでしょうか!
終盤のトンデモ表現のオンパレードにはびっくりしましたが(多分初見の人は説明不足で何が何だかわからなかったと思う)!
そこそこ満足!原作小説で補完しましょう!


さてさて、これは何回か観ないといけませんね。
また観たらなにか書きます〜!

ではでは今日はこの辺で。
ば〜い!