自分を俯瞰して見る余裕がないとブログは書けない
こんにちは!じゃっくん(@jacjac__jack)だよ〜
最近、全くブログを更新することができていませんでした。
「書きたいな」と思うことが全く浮かばず、でも、「書かないと」という謎の強迫観念のようなものを持っていたりもして、ちょっと苦しい期間でした。
魔女の宅急便
ただ、僕はジブリっ子なので、魔女の宅急便のキキとウルスラのこんなセリフのやりとりを思い出しました。
ウルスラ「魔法も絵も似てるんだね 私も よく描けなくなるよ」
キキ「ほんと!? そういう時 どうするの」
ウルスラ「ダメだよ こっち見ちゃ」
キキ「私 前は何も考えなくても飛べたの でも 今は分からなくなっちゃった」
ウルスラ「そういう時はジタバタするしかないよ 描いて 描いて 描きまくる」
キキ「でも やっぱり飛べなかったら?」
ウルスラ「描くのをやめる 散歩したり 景色を見たり… 昼寝したり 何もしない そのうちに急に描きたくなるんだよ」
キキ「なるかしら…」
ウルスラ「なるさ」
ジタバタして、ツイッターを更新してみたりしていました。
でも、やっぱり書けなかったので、僕も書くのをやめました。
そして、他の人のブログを読んだり、外に出て話題のスポットを巡ったり、好きな服を買ったり、色々していました。
何を伝えたいのか客観的に見る
主に自分の心を動かしたのは「他の人のブログを読む」と言う行為です。
ふと、「あ、この人は自分を俯瞰して客観的に見れているな。分析しているな」と感じて、その上で「あれ?僕は自分のことを俯瞰できなくなっているし、何を伝えたいのかわからなくなっているな」と客観的に自分を分析することができました。
どんなコンテンツを書くにせよ、書くのは自分なのだから、自分の中身を文字に落とし込めるくらいには自分を客観視できていないとダメですね。
ここで、自分には自分を省みる心の余裕が無くなっていたんだなと気づかされました。
インプットが客観視を促し、アウトプットにつながる
他の人たちが発信しているものを見ると、たまに隠された意図とか伝えたい熱量とかが見えてくることがあります。
そこに触れることで、「ああ、こういう見方もあるのか」と、新しい視点での切り口を知ることができます。
新しく知った切り口は自分の心を別の角度から照らしてくれますし、それは客観視にもつながります。
自分の気持ちが新しく見えてきたら、そこに書きたいものがあると思います。
自分はどういう気持ちで映画を観たのか。どんな気持ちでアニメを観たのか。少しずつでも客観視して生きる余裕を持ちたいです。
そうでないと、ただ目の前のものを消費するだけのウンコ製造機になってしまいます。
最後に
教育もこの感覚とちょっと似ているな、と思っています。
教育者は、被教育者を、自分を俯瞰して自分の把握具合を整理できるように導いてあげると、より進歩が速くなります。
受験勉強とかがその良い例ですよね。
模試を受けさせて進捗状況を把握させて、その結果に対して何をやるべきか導いてあげています。
ただ、教育者がいない場合は、自分で探していかなければならないので、そこで教育者に相当するものを他の風景や芸術や記事に求めるのかもしれません。
お笑い要素皆無でしたが、今日はこの辺で!
ではでは
ば~い!