「ひとそれぞれ」という言葉の持つ思考停止感と教育の現場
こんにちは!じゃっくん(@jacjac__jack)だよ〜
僕は「被教育者は教育者の仕草も学び模倣する」という考えを持っていて、そのため特定分野の初期の教育はすごく大切だと思っているんです。
塾の講師をずっとやっていてそう思いました。お金をもらって女子高生と合法的にイチャつくことのできるあれですね。
漢文でも物理でもいいですけど、例えば板書の仕方がノートの書き方につながったり、説明の仕方がそのまま口調として伝染ったりします。
このことを意識しておけば、仮に酷い教育者にあたってしまった場合でもある程度の悪癖の習得は排除できるので便利です。
教育者をどう見分けるか
しかしながら、初期の教育において、被教育者は「何が良い教育者としての試金石なのか」ということを見分けるのはすごく難しいことですよね。
ここで役に立つのが「質問」です。
相手がどれだけ物事を考えながら生きていて、どれだけ説明する力があり、どれだけ事象を口語にする教養を持っているか、がわかります。
例えば、教育者が青のボールペンを使っていた場合。
被教育者「青のボールペンって使いやすいですか?」
教育者「人それぞれだよ(笑)」
これは最悪のケースですね。
なぜなら、世の中の物事はほとんど全て「人それぞれ」で説明ができてしまいますから。
「殺人って悪いことなの?」
「人それぞれだよ」
「ピーマンって美味しいのかな?」
「人それぞれだよ」
でしょう?
良い回答は、例えば青のボールペンで考えるなら
「人それぞれだと思うけど、"私は"青のボールペンを使うと、書いた文字が記憶に残りやすいと思うから使っているよ。以前、そういう記事を読んだことがあって、それ以来ずっと青のボールペンなの。私は記憶力が悪いことが悩みだったけど、これは効果があるように感じるわ」
などでしょう。
悩みに対する思考と、それを解決できる教養を身につける行動、そして自分ならではのわかりやすい説明。
是非、自分の教育者にばんばん質問を投げかけてみてください。
最後に
質問でも会話でも、回答に自分ならではの情報を加えることができる人が、良い教育者の条件だと思います。
自分ならではの視点から見た世界の情報を加えられる教育者は、優秀です。
なぜなら、教育者はただ教科書に載っていることを朗読すれば良いだけの存在ではないからです。
自分の目で観て耳で聴いて肌で感じたことを、自分言葉で伝えることが大切です。
それができないのなら教科書を読むだけで十分。
もちろん、その内容によっては、悪い教育者となる人も多く存在します。
ただ、一つの地雷教師の見分け方として「人それぞれ」で思考停止している人を探すことはオススメです。
学校や塾だけでなく、会社や家族にも、もしかしたらそういう人はいるかもしれませんね。
ではでは今日はこのへんで
ばーい!