じゃっくんろーる!

ゆるく生きてます

「上質な暮らし」と「贅沢な暮らし」って別物だよなと思った

こんにちは!じゃっくん(@jacjac__jack)だよ〜

昨日散歩をしていて「なんか小腹が空いたから、最近話題のスナックを買いに行ってみよう」と思いました。
それと同時に、「お金が少ないけど、まあ、良いもの食べて1日の質を上げよう!」と思った時に、ちょっと違和感がありました。

ぼくの身近にいる人たちが良く言うのは「上質な暮らしっていうのは、良いものを買って、良い場所に住んで、良いものを食べることなんだ」といったようなことなのですが、これって本当に「上質な暮らし」なのでしょうか。

サイクルで考える

例えば、良い部屋に住んでいたとしても、その人が「ほとんど家に帰らない人」であったり「家にいる時間が極端に少ない人」だったら、その部屋は本当に「上質な暮らし」を構成する要素になっているのでしょうか。
なっていないと思います。

同様に、良いものを食べたとしても、その人が他の食費を切り詰めたりしてストレスを貯めたりしていたら、その食事は本当に「上質な暮らし」を構成する要素になっているのでしょうか。
これも、なっていないと思います。

思うに、まず「暮らし」を考えるのであれば、自分の暮らしのサイクルを考える必要があるのではないでしょうか。
そして、日々の自分の暮らしのサイクルの乱れを整えることが「上質な暮らし」というものを形作るのだと思います。
この乱れを整えるために必要なのが「良いもの」であったり「良い食事」であったりするのです。

「暮らしの質」と「心の欲求」

とすると、冒頭で僕が食べようとしていたスナックは、自分の暮らしのサイクルを考えた時には「上質」ではなく「贅沢」に分類されるのだろうなと思いました。

これをなぜ「1日の質を上げるもの」と認識してしまったかというと、短期的な自分の欲求を満たすことができるからです。
でも、短期的な欲求を満たす行為は、自分の暮らしのサイクルをより円滑に回すことには直接繋がっていないんです。

なので、「上質」と「贅沢」は別物だなと思いました。

ただ、贅沢は日常にも欠かせないものであって、「生活の質を上げよう」と思って間違えて贅沢をしすぎなければ、大歓迎な行為だと思っています。

記念日や自分へのご褒美、ストレスの発散や趣味としての行為などは人の心を豊かにしてくれます。
間接的に教養も深まり、人生を豊かにして質を上げてくれるものでもあります。

その目的を履き違えなければ、贅沢もほどほどに抑えられます。

自分の暮らしのサイクルを知ることって大切ですね。

さいごに

なんだかんだで結局は話題のスナックは結局食べたので、後でブログで紹介しようと思います。

ここまで考えた上で欲求に負けました!!!

ではでは今日はこの辺で。
ば〜い!