「四月は君の嘘」とサブカルとファッションとアニメ
こんにちは!じゃっくん(@jacjac__jack)だよ〜
ネタバレそこそこあるので注意。
先日最終巻が発売されたらしい「四月は君の嘘」という作品。
ニコニコ動画をぼーっと眺めていたら、こんな動画が上がっていました。
www.nicovideo.jp
www.jacknrollll.com
映像と音楽が素敵すぎて、一気に全話観てしまいました。
ストーリーは
中学三年生のピアニストとバイオリニストのボーイミーツガール
って感じです。
とにかく音楽と映像とストーリーの調和が素晴らしい!
www.nicovideo.jp
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特に最終話「春風」での演奏シーンは圧巻です。
音楽は言葉を超える
「四月は君の嘘」は、音楽を題材としている作品です。
こういった作品をアニメ化すると可能になってくるのが、「劇中曲のBGM化」です。
特に、「四月は君の嘘」の主人公の有馬公生のセリフにあるように
「たくさんの人と、音を共有できた時、たくさんの人に、音が届いた時、心を重ねた時・・・音楽は言葉を超えるのかもしれない。」
音楽が言葉を越えて視聴者に感情を届けてくれます。
劇中曲がキャラクターの心情やストーリーに違和感なく合致し、感情が視聴者である僕に届いてきました。
とっても素敵な気持ちになる作品です。
こういった手法はマクロスやけいおん!などでも用いられましたね。あとは坂道のアポロンとかも。挙げればきりがありません。
ちょっと感想
死ぬことありきで作られている作品なんだろうなということは大体察しがついていたし、複線も大量にあったから覚悟はしていたのですが、やっぱり本当に死んでしまうと物凄く悲しかったです。
死んだ意味ってあったのかな、と考えてしまいました。公生、ものすごくしっかりしていましたよね。
母親が亡くなったときは相当な精神的ショックがあったようですが、かをりが亡くなったときはかなりあっさりしていました。
公生にとっての死は、「乗り越えるべき試練」であり「音楽で救うべきもの」だと思っていたのですが、どうなんでしょう。
かをりは一応救われたような描写をされていましたが、本当に救いを表現するなら、最後は生きてバイオリンを持って公生と並んで立ってほしかったです。
公生の中にかをりはいますし、かをりの中にも公生はいます。「だから並んで立っているんだよ」ということなんですかね。いやそうじゃないだろうと思います。
公生は、結局かをりと心中することができなかったわけです。もしくは、かをりのなかに公生が息づいて並び立ったから、一緒に逝ったということなのでしょうか。
うむむ。
音楽と絵
ノイタミナ作品に特徴的なのが、とにかく「音楽と絵が良い」ということ。さらに面白いストーリーが付いてくる。
一般層に波及させることを目的とした企画として、申し分ない要素だと思います。
ファッションとエヴァの融合の「ラジオエヴァ」さんとか、スーパーグルーピーズさんとかもそうですけれども、「ファッション感」は1つのキーワードになると思います。
「これはアニメだけど、オシャレだから」
「これはアニメだけど、大人向けだから」
などなど、一般層が「言い訳」をいやらしくなくできる理由を与えてくれます。
そんな「ファッション感」っていうのが、日本のサブカルチャーにももっと必要なのかなと思ったりもしました。
最後に
「4月は君の嘘」は原作漫画も面白いので是非読んでみてください!
ではでは今日はこの辺で。
ば〜い!