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BORUTO観てきた!答えを先に知ることってそんなに悪いことなのか?

こんにちは!じゃっくん(@jacjac__jack)だよ〜



NARUTO15周年ということで、新時代プロジェクトとして公開された本作。
主人公はナルトとヒナタの息子であるボルトです。

ひとまず、とても良かったです!
THE LASTなんていらなかったんや!

主要キャラクター総出演に加え、圧倒的なスピード感の伴う戦闘シーン。そして父親になったナルトの成長と、新世代の紹介と成長が素晴らしくバランスよく描かれていました。

さて、個人的にかなり評価の高い本作でしたが、少し思うところがあったので書いてみようと思います。

ネタバレあります。

答えを先に知ることってそんなに悪いことなのか?

本作ではボルトたち新世代組の中忍試験が描かれています。
その中でボルトは違反忍具を使用して失格となるのです。

この忍具がキモです。

これは、小型の巻物に保存した他人の忍術をなんでも使用可能になるもので、しかもチャクラが無い人にも使えるなんとも素晴らしい忍具なのです。(普通にチート)
この忍具は、本作では「努力をせずにズルをして手に入れた紛い物の力」の象徴として描かれています。

他にも、ボルトがポータブルゲームでチートしているシーンなんかも同じような描かれ方でした。
あとは、サスケとのボルトの修行の際にも、サスケに「すぐに答えを知ろうとするな。考えろ」と言われてしまっています。
作中では一貫して「努力をしろ」ということが言われています。

しかしこの最後のセリフが引っかかりました。
違反忍具を使用すことやゲームでチートをすることと、修行で答えを先に知ろうとすることは、別のことだと思ったのです。
というか、昔から違うだろと思っていました。

先に答えを知ることができれば、効率良く作業を進めることができます。
その上でわからないことにぶち当たった時に、考える力がさらに高い位置で発揮されるのです。
先に答えを知る癖がついていけないのは、自分で考えて臨機応変に行動する力が弱くなってしまうところにあると言われています。

しかし例えば、私たちは今テクノロジーの恩恵を受けて生活していますが、はたして自分で考えられず臨機応変に行動できない人間になっているでしょうか。
例えばクックパッドでレシピを検索すれば、少し難しい料理も作ることができます。すると、人は「もう料理に関して工夫することをやめよう」と思うでしょうか。
私の知人たちは、クックパッドのお陰で食卓のバリエーションが増え、日々メニューの工夫をすることが楽しくなったと言っています。
また、クックパッドに乗っているレシピに自分なりの創意工夫を乗せ、新しいレシピを作り上げる人までいます。

答えを先に知る、もしくは教え共有することで、文化の発展にも繋がるはずです。

なので、僕は答えを先に知ることは悪いことではないと思っています。

自分の能力をテクノロジーで拡張することで、より新しい可能性が生み出されるといいですね。

ちなみにBORUTOの感想

ナルトとサスケが分かりあってから初めての共闘を見ることができたのが最高でした。
また、この戦闘のスピード感が物凄く心地よいです。
正直なところ、「何をやっているのかわからないっ!」というほどの速さで画面が動き回ります。
ナルトとサスケの力量が他の忍びのそれを圧倒的に凌駕している様が物凄く気持ちよく描かれていました。

あと、サスケがすごく落ち着いていたのが印象的でした。
やっぱり人間、30台になって子供もできると落ち着くのでしょうか。
ストーリーの中に岸本先生自身を投影している側面もあるそうなので、もしかしたら岸本先生

新世代の面々も個性豊かで素敵でした。
個人的にはボルトとサラダの関係がすごく気になるところです。カプ厨じゃないよ。

結局最後までボルトは「俺は火影にはならねぇ」を貫きましたが、これは「強さや偉大さの象徴=火影」であった考え方がサスケに出会ったことにより変わり、自分なりの強さや信念を追い求める決意という捉え方もできるのかなと思います。
ここらへん、漫画版のサスケの生き方が肯定されたような気がして嬉しかったです。

このままBORUTOを描き始めてくれてもいいんですよ!……と思いつつも、ここら辺で綺麗に終わらせるのもアリだと思います。

今後に期待です!

ではではこの辺で。
ば〜い!